ものづくり中小企業の変革と挑戦を支援しているMOBIOでは、MOBIO 常設展示場出展企業およびインキュベートルームの入居企業の「 変革と挑戦 」について、取り組みのきっかけ(背景)、 具体的な内容などをインタビューしご紹介していきます。ここにはヒントが沢山詰まっているはずです。 じっくりお読みください!
※出展終了およびインキュベートルームから退居した企業の記事は掲載しておりません。
pick up company 092
若手と設備に投資し、地元が誇れる企業へ
有限会社伊藤歯車製作所 代表取締役社長 伊藤 雄一郎 氏
会社名 | 有限会社伊藤歯車製作所 |
---|---|
住所 | 大阪府岸和田市磯上町3-23-12(岸和田工業センター内) |
電話番号 | 072-436-0360 |
企業HP | http://ito-haguruma.jp |
代表者名 | 代表取締役社長 伊藤 雄一郎 氏 |
設立 | 1951 年 |
事業内容 | 各種歯車の歯切、歯研、設計、ミーリング工事一式及び設計 |
景気変動の重圧が全加工、多能工、若返りなど変革のきっかけに
戦時中、呉の海軍工廠でホブ盤という歯車の歯切り盤を扱っていた伊藤雄一郎氏の祖父が、戦後に岸和田へ移って創業した伊藤歯車製作所。当時、泉州エリアは紡績が地場産業であり、紡織機に組み込む歯車の需要が高かった。そのほか電線やワイヤーロープを編み込む撚線機、バネの製造設備、段ボールの印刷機などさまざまな機械に歯車の需要があり、そういった専用機メーカーの多様なニーズを満たすために試行錯誤して技術を磨き、少量多品種生産に特化した業態となった。また海軍工廠時代の付き合いからフライス加工や研磨技術に秀でた業者との伝手があり、周囲の工場からは「困ったことがあれば伊藤歯車さんに聞けばいい」と信頼を寄せられていたという。同社自体もシャフトのスプラインや傘歯車をフライス加工で仕上げる技術があり、地域で頭一つ抜け出た位置にあったようだ。
バブル崩壊を契機に旋盤を導入し、前加工からすべての工程を自社で一貫して行う全加工の歯車製造が主体になるなど、時代と共に会社の在り方も徐々に変化していった。「景気の浮き沈みでガラッと変わるのはどこの企業も一緒かもしれませんが、リーマンショックの余波で強いられた変化は大きかった。当時、仕事がないため社員を2班に分けて出勤してもらいましたが、職人それぞれが限られた機械しか扱えなかったため、各工程がスムーズに回らなくなりました。この経験から、多能工化の必要性を痛感しましたね」。ある程度幅のある仕事ができる社員と、それができない社員が混在していた。また当時の社員の平均年齢は55歳と高齢化が進んでいた。また同様の不景気に襲われたら、組織の基本的な見直しが必要になるかもしれない。そんな危機感が、多能工化と会社の若返りに取り組むきっかけとなった。
キャリアとケアが若手を定着させ、会社の若返りに成功
リーマンショック後、同社は毎年新卒採用を続けている。「今ではいい人材を紹介してくださる高校とのパイプが太くなりました。職業教育の授業でOBの社員を高校に派遣することもあり、私たちにとってもいい勉強になっています」。10年以上にわたって続けてきた新卒採用が実を結び、現在は全社員28名のうち12名が20代。平均年齢は40歳を下回る。ここまで若手が定着したのは、だんじり祭りの運営組織に身を置き培ってきた伊藤氏の気質によるところが大きい。岸和田では町会ごとに祭礼団体を組織し、10代半ばから所属して年齢が上がるたびに役割を変えていく。自然と年長者が若者たちの面倒を見てサポートする文化が醸成され、伊藤氏も若者との関わり方を心得ている。「今この技術を覚えれば、10年後これができるのは泉州にキミ一人だけやと鼓舞したり、時にはプライベートの悩みも聞いたり」と、陰に日向に見守ってきた。また3S活動の結果、加工不良を大幅に減らすことができたという企業を参考に、整理整頓アドバイザーを招いて3S活動を始め、『3S委員会』を組織。若手ばかりを手当て付きの委員に選び、委員を数年経験すれば委員長、その次は各部署のグループリーダーとキャリアアップのビジョンを明確にし、モチベーションアップにつながった。また「今後はグループリーダーの上に技術の向上と承継を目的とした『リーダー会議』を設け、会議のメンバーを務めれば幹部社員になるというキャリアプランを構想しています」とも話し、会社そのものの魅力も磨いている。「高校を卒業したばかりの人のその後の人生に長く関わると思うと、新卒採用は勇気が要ります」とも漏らし慎重な姿勢を崩さないが、長年の取り組みのおかげで多くのものづくり現場の悩みの種となっている若返り問題を克服したのは間違いない。
企業と地元がともに人を育み、魅力ある企業と地元をつくりたい
「NC旋盤やマシニング旋盤と違い、歯車の加工機は歯車しか作れない。だからニーズが少なく、機械が高価になります。中小レベルでそんな高価な機械をわざわざ購入し、いちから技術を磨こうという企業はないでしょうから、新規参入がほとんどないという意味では歯車業界は強いかもしれません」と話す伊藤氏。歯車を発注する側としても、依頼できる会社が少ないため多少の納期遅れがあっても目をつむらざるを得ないほど、ある意味強い立場にあるそう。そのうえ高齢で後継者のいない会社が多いとなれば、若返りに成功し、工程管理と納期の遵守を徹底している同社の優位性は明らかだ。「コロナ禍で廃業した同業者から、800φの傘歯車の加工機械を購入しました。日本全国で3社か4社、関西では当社しかない機械ですので、これを看板に広く営業活動ができたらと思っています」。現在でも北海道から鹿児島まで全国各地に顧客を抱えているが、47都道府県すべてに顧客を得ることを目標とし、新工場の建設も将来のビジョンに含まれている。またさらに自社でできる工程を増やし、海外との取引の可能性も視野に入れている。こうした拡大路線を執る一方、伊藤氏はあくまで地元に根差した会社でありたいと話す。「地元の人々が魅力を感じ、若い人たちが働きたいと思える会社になりたい。できれば学校の先生や地域に任せるだけじゃなく、私も一緒になって若い人材を育てるところまでしたい、というあくまで個人的な想いがあります」。地元に目を向け、地域の活性化と会社の成長を両立させる。その発想の根底には、地域でまとまり、老若男女が一丸となって祭りを成功させるという固い結束を連綿とつないできた“だんじり魂”があるように思えてならない。
2023年1月17日(火) ライター:東原 雄亮
MOBIO担当者より
動力の伝達機構として不可欠な歯車は、組み込まれる機器の進化により各種対応が求められてきた。
特殊仕様の実現、品質管理の標準化、大型ベベルギア製造など、歯車専業企業として多くの挑戦をされてきた伊藤社長。その動力源は、自ら参画し体得された地元の「だんじり魂」。未来に向けて企業を曳行(えいこう)されていました。
MOBIO兒玉