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MOBIO入居企業・常設展示場出展企業のスペシャルインタビュー

ものづくり中小企業の変革と挑戦を支援しているMOBIOでは、MOBIO 常設展示場出展企業およびインキュベートルームの入居企業の「 変革と挑戦 」について、取り組みのきっかけ(背景)、 具体的な内容などをインタビューしご紹介していきます。ここにはヒントが沢山詰まっているはずです。 じっくりお読みください!
※出展終了およびインキュベートルームから退居した企業の記事は掲載しておりません。

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難題こそ最大のチャンス。
ヘア・ピンのさらなる可能性を求めて

株式会社五力工業 代表取締役社長 鎌田 益廣 氏(2015年当時)

株式会社五力工業
代表取締役社長 鎌田 益廣 氏(2015年当時)

会社名株式会社五力工業
住所〒578-0941 大阪府東大阪市岩田町3-11-11
電話番号072-961-2255
企業HPhttp://www.goriki555.co.jp/
代表者名代表取締役社長 鎌田 益廣 氏(2015年当時)
設立1951年(昭和18年)
事業内容各種ヘア・ピンの製造及び販売・各種ヘア・ピンの受託生産・各種ヘア・ピンの輸出販売など

プロに高く評価されるヘア・ピンの国内トップメーカー

▲カラーボブ・ピンの国内シェアは90%以上。そのすべてを泉佐野にある自社工場で生産する。

▲一般向けの商品は百貨店で販売。スーパーでの廉価販売は一切行わないのも鎌田社長のこだわりだ。

髪を留め上げたり、ヘアアレンジを楽しむ際に欠かせない「ヘア・ピン」。 私たちの日常生活に溶け込んだ身近な製品群の1つであるが、この分野において日本のトップを走る企業が大阪府内にあることは、まだあまり知られていない。 塗装カラーボブ・ピン(ハガネ製ヘア・ピン)の製造において圧倒的な国内シェアを誇る五力工業である。

従業員数50名弱の小規模ながら、全国の理美容室や美容学校で使用されているほとんどのヘア・ピンは実は同社の製品だ。また特に先端部が閉じた「カラーボブ・ピン」の国内シェアはなんと90%以上。代表取締役の鎌田氏いわく、「他社と比べて価格は3~5割高だが、耐久性は10倍以上」なのだとか。この高い製品力こそ、まさに同社の強みの源泉だといえる。

さらに驚くべきは海外事業だ。同社では現在、各国民の髪質に適応した毎年約200トンのヘア・ピンを、ヨーロッパ、アジア、中東など世界20カ国以上に輸出している。生産量の65%以上が輸出用だという事実からも、海外での評価の高さがうかがえる。事実、同社の「555シリーズ」は、そのクオリティの高さから多くの国で最高級ブランドとして認識されてきた。

日本の製造業が海外からの廉価品流入に苦しむなかで、なぜ五力工業は成長を続けることができているのか。その秘密を探ってみよう。

独自発想で生み出した日本初の全自動ヘア・ピン製造機

▲鎌田氏が開発したヘア・ピン全自動製造機。大小合わせて数十台の機械が工場内でフル稼働。

五力工業の創業は1871年(明治4年)。当初は紡績原料の綿花、繭の元売り業からスタートし、第二次大戦中には軍需産業にも乗り出した。転機となったのは、終戦直前にふとしたことから割ピン(ネジを固定する金属ピン)製造機を入手したこと。今年で83歳を迎える鎌田氏は当時をこう振り返る。「終戦を迎えて、もはや軍需産業は立ち行かない。そこで割ピン製造機を改良し、形の似たヘア・ピンを生産することに思い至りました。当時は進駐軍の女性などに大きな需要がありましたからね」。

その当時、国内には国際基準の塗装ヘア・ピンメーカーは存在せず、製造ノウハウは一切なかった。まずは製造工程を確立させる必要があるが、当初の鎌田氏は非常に楽観的だったという。「ヘア・ピンの形状は単純そのもの。線材を屈曲するだけで簡単に作れるだろうと思っていました」。ところがいざ製造に掛かると、次から次へと難題に直面することになる。

まずは弾性の問題。線材をただ曲げただけでは、焼入れ時にどうしても外側へと反ってしまう。これでは“髪を挟む”というヘア・ピン本来の役割をまったく果たさない。どうすればいいか。鎌田氏は幾たびもの試行錯誤のすえ、伸線工程の改良という答えにようやく辿り着いた。線の内側を柔らかく、外側を硬く伸ばすと、鋼は熱を受けて逆に内側へと反ることになる。これにより五力工業のヘア・ピンは、さらなるグリップ力を獲得することとなった。

もう1つ、鎌田氏を悩ませたのが塗料だった。海外、特に欧米人に好まれるのはカラフルなヘア・ピンだ。ところが色を出すために表面に塗料を施しても、使用時に厚塗り部分が簡単に剥げ落ちてしまう。このままでは海外ユーザーの要望に応えることはできない。しかしここで諦めないのが鎌田氏の真骨頂である。染料・顔料で着色し、釉薬を用いて焼付塗装を行うという独自コーティング法を開発。美容施術時の薬品にも耐久するなど、国際的美容法にも適用するオンリーワンのプロセスを作り上げた。

困難な局面をチャンスに変える。この繰り返して品質を磨き上げるのが、まさに鎌田氏のやり方だ。その集大成として昭和45年に完成させたのが、日本で初となるヘア・ピン全自動製造装置。線材をセッティングするだけで、プレスから裁断、塗装、焼付けまで全てを自動でこなしてくれる。高度経済成長により日本国内のヘア・ピン需要が高まるなか、生産効率の飛躍的な上昇は同社へのさらなる追い風となった。

新技術の創出と知財保護。攻守のバランスで拡大を続ける

▲工場内には世界各国への輸出を待つ商品入り段ボールがずらり。 各国での販売はパートナーが行う。

▲時代の変化に合わせ、新しいデザインのパッケージも投入予定。時代のニーズを的確に捉える。

同社の成長を語るうえで、無視できない2つのキーワード。それが「特許」と「海外志向」である。

戦後に他社に先駆けてヘア・ピン製造を開始した五力工業だが、これは航路のない大海原に漕ぎ出すようなものだった。だからこそ鎌田氏は新しいことに着想するたび、外国企業の参入を想定し、小まめに特許申請を欠かさなかったという。事実、外国企業がヘア・ピン業界への参入を伺うことが幾度もあったが、その都度、数々の取得特許が防波堤のような役割を果たした。

さらに同社の場合、徹底した海外志向も技術向上の大きな一因に挙げられるだろう。生産を始めた当初から、進駐軍を通してアメリカへの輸出を行っていた五力工業。「理容師法・美容師法に関しては、海外のほうがずっと厳格なんですよ。衛生面の徹底した気配りや、頭皮を傷付けないための玉付き加工の技術など、海外からの厳しい要望に応え続けることで、自然と技術力が磨かれてきたと感じています」と鎌田氏は語る。
確かに「特許」や「海外志向」という言葉は、今の時代においては特段に珍しいものではない。しかし40年以上前からこれらの可能性に注目していた鎌田氏の慧眼には、ただただ恐れ入るばかりである。
五力工業の拡大を一手に担い続けてきた鎌田氏も83歳を迎えた。しかしその意欲にまだまだ衰えは見えない。「目下の課題は、ヘア・ピンという低単価な製品に、いかに高付加価値を持たせるか。例えば釉薬をもっと工夫して、スモーキーな色合いの商品も開発してみたいと考えています。五力工業の高品質なヘア・ピンを使うだけで、その美容室や美容学校の“品格”が自然に高まる、そんな価値の大きな商品づくりがこれからの私の目標です」。

MOBIO担当者より

今回の取材は同社、泉佐野工場へ。「この地だからこそ成り立った事業。色々な要素がここにはあったから……」と、鎌田社長。しかし、どこでもどんな状況でもコレをどう活かせるかを常に考えておられる気がします。まさに「変革と挑戦」の連続で走り続けている印象の鎌田社長でした。(奥田)

取材日:2015年2月12日(木) ライター:田中 哲也

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