MOOV,TALK
ものづくり企業こそ
SDGsに取り組むべき理由
SDGs(持続可能な開発目標)は、2015年9月の国連サミットで採択された17のゴールと169のターゲットからなる2016年から2030年までの国際目標だ。SDGsには法的な強制力がなく、取り組み内容についても取り決めはない。幅広いテーマが網羅されているゆえに、イメージしづらい面があるのも確かだ。そのため、採択から6年が経過する中でも、「何から手をつければいいのかわからない」「取り組み方がわからない」と悩む企業も多い。
今回は「環境」「まちづくり」「つくる責任・つかう責任」など、さまざまな側面からSDGsに取り組む企業3社の代表が、その考え方や活動内容について語った。それぞれの発言から浮かび上がったのは、経営理念こそが重要であること。SDGsが身近なものであることに気づき、実践可能な目標からぜひ挑戦して欲しい。
原料や製法を見なおして
地球を汚すことのないタオルを。
奥 私たちはSDGsが目的ではなくて、自分たちのものづくりを良いものにしていこうという方向性がSDGsの項目とつながったという感じです。「2030年までにタオルが地球を汚すことを無くす」ために、9つのアクションを掲げていて、中心に位置づけているのは「9・12・14・15・17」です。
棚橋 すごいね、9つも!
奥 薬剤を使わずにタオル製造することは、産業と技術革新の基盤をつくる「9」、さらに薬剤を使わないことで処理水が無害になる。泉佐野ではタオル産業がもたらす汚染水で、近くを流れる川が「日本一汚い川」になった悲しい過去もあります。それを解決する技術を開発した結果、川と海はつながっているので「14」の海の豊かさを守ることになる。環境インパクトを与えない製造方法を開発すれば「15」の陸の豊かさも守っていけます。「17」に関してはウガンダとのパートナーシップです。
井上 産地のウガンダとの関係ができたのと、薬剤を使わない技術開発はどちらが先だったのですか?
奥 製造プロセスの改善課題というのは、近所の川が国内ワーストワンになった時点で見えていたのですが、父はすぐに着手できなくて。2000年以降、中国産のタオルが入ってきて、産地であった泉佐野の生産量が10分の1になった。そのときようやく「これからタオルづくりを続けていくには、どういう形がいいのか」と考えた。また父は学生時代からアフリカが好きで、放浪したこともあって。再訪したときに綿花が栽培されているのを見て、自分の仕事が大好きな場所とつながり、アフリカの綿花を使用するようになりました。そこで見たオーガニックコットンをつくるプロセスがすごくて。農薬を使わず育てた綿はひとつずつ手で摘む、そんな素晴らしい綿花をいい状態で届けるために、技術開発という視点が持てたといいます。
棚橋 中国産のタオルの台頭でこれまでの大量生産でやってきたツケというか、ものづくりを見つめ直す時期がきたと。どの製造業にも言えることですが、「ものづくりは何をどのように製造すべきか」と考えなければ、次の時代につなげられないですよね。
奥 タオル職人である自分たちは、化学薬剤に頼って簡単な道ばかり選んできました。どの業界もそうですが、生産プロセスのメリットとデメリットをきちんと説明せずに、デザインや機能だけを謳ってある意味消費者にばらまいていた。だからこれからはオープン化というか、「見せられる自分たち」であること目指そうと。
井上 奥さんは大学時代、優れた陸上選手で箱根駅伝も走られたと聞いていたので、ウガンダに陸上留学されたのがきっかけと誤解していました。
奥 いやいやいや(爆笑)。
井上 じつは私もこう見えてマラソンやっていまして。大阪マラソンで3回完走しています。それで気になっていたのが、出場すると記念にタオルがもらえるじゃないですか。あれって中国製ですよね。不思議でね、地場産業があるなら地元のタオル配ればいいのにって。
奥 ぼくの父や祖父が手がけていた泉州タオルですが、産地が積み上げてきた得意分野を持って高度経済成長期に中国に工場をつくる人が大勢いて。人件費は国内では太刀打ちできない。それで価格が半値以下で同じクオリティのものがつくられ、商社を通じて国内の市場に一気に広まった。
井上 スマイリーアースのタオルで取り戻して欲しいですね。
奥 SDGsの波がうまく社会変革につながっていくように、タオル屋として貢献していきたいというのはあります。
地域とコミュニケーションできる関係を築き、
東成区を金属のモニュメントが溢れる街に。
井上 当社の経営理念は「我々は社会の光となります」。光は希望であり、必要不可欠なもの。安心や活力、そして命の源である。私たちに光が必要なように、自分たちは地域になくてはならない企業を目指しています。奥さんが先ほど言われたように、うちもまず経営理念があってその企業活動の延長線上にあるのがSDGs。会社を営む東成区には製造業は約1100社もあり、昔は中小の工場と住宅が混在していましたが、企業の廃業や移転などでなくなり、その跡地が分譲住宅やマンションなどに変わった。すると企業と住民のトラブルが起こる可能性もあります。
棚橋 大阪市内だと「住工」の問題は発生しやすいですよね。
井上 そうなって欲しくないので、2010年に「東成区住工共存まちづくり懇談会」に参加しました。そのメインの活動が「わが町工場見てみ隊」という親子での工場見学会。工場でどんなものをつくっているかを知ってもらうことで、コミュニケーションできる関係を築きトラブルを未然に防ぐというものです。これが原点としてあって、ものづくり体験イベントへと発展します。ほかにも地元の大学である大阪工業大学ともつながりを持ち、卒業作品展のお手伝いなどもしています。
棚橋 まず地域とのつながりからできていったわけですね。
井上 そもそも私はSDGsを3年ほど前に知ったばかりで。それまでは住工とか地元の活動ばかりしていた。そういう下地ができたところで東成区長の浅野篤さんと出会いました。JICA(独立行政法人 国際協力機構)出身の方でSDGsを強く推進されている方です。
奥 SDGsでも、やはり地域関連に力を入れられてるんですか?
井上 「4・8・9・11・17」に力を入れています。それ以外にも、ひがしなり企業区民連携フォーラムや「ひがしなりソケット」に参加しました。目的はSDGsを推奨しているグッドカンパニー。ひがしなりソケットでSDGs認証を、区から東成サスティナブル認証もいただいています。
棚橋 それはどういう団体なんですか?
井上 「ひがしなりソケット」は町工場だけでなくて、市民、学校、金融機関までありとあらゆる東成に関わる方が参加しているんですけれど、自分なりに解釈していえば「自分の夢を叶える場」ですね。こちらの発表会で私は市民や施設関係者とチームを組んで、「東成区を金属アートの街にしたい」という夢を掲げました。
奥 それ、カッコいいですね。
井上 東成区にはものづくりの企業はたくさんあり、後継者不足や廃業という問題をどう解決するかというなかで、木工などのアート作品はほかの町でもつくれますが、金属アートって機械や扱う技術がないと難しい。
棚橋 たしかにそうですね。
井上 ですからそういう作品をつくりたい人がこの町に住むことによって、制作しながら金属加工の会社で働けるとか。Win-Winの関係を築いていけるんじゃないかなというのがテーマで。さらにいえば区の支援を受けて、作品を公共の場に展示していけたら。それが実現したら、環状線の玉造の駅からものすごい金属アートのモニュメントが並ぶ風景が見られます。伊丹に飛ぶ飛行機からでも「なんでこんなところにこんなものが!」という面白い風景が楽しめるはずです。町工場×アートで、作品で自社製品、地元名品がつくれたら素晴らしいじゃないですか。
棚橋 東成に来たらいたるところに鉄のモニュメントがあって、アートな町だと感じられるわけですね。
インドネシアの汚れた河川の水質を
常時観測して改善へと導く。
棚橋 本音を言うと私は最初、SDGsって嫌いだったんですよ(笑)。大手企業でも国連のサミットで採択されたから、胸にバッジつけてにわかにSDGsと言い出して。いってみれば、企業の宣伝としてやっているような印象を受けたんですね。べつにこんな定義ができる前から、自分たちは取り組んでましたから、なにを今さらという感じで。それが時流に乗って、グローバルな共通言語として言われだしただけでしょ。
井上 たまたまSDGsだったということですよね。
棚橋 そうそう。社員はすごく喜んでいますけどね(笑)。うちは4番の「質の高い教育をみんなに」というものに力を入れていて。2030年までに学術的・職業的スキルなど、雇用、働きがいのある人間らしい仕事および企業に必要な技能を備えた若者と成人の割合を大幅に増加させます。
井上 素晴らしいですね。
棚橋 それと「6」の安全な水とトイレを世界中に。別にSDGsと書かなくてもいいんですが、事業をあらためて見ると、すべての項目に関わっていると思うんですよ。とはいえ、「今やっていることが何につながるか」という意識を持って活動することは悪いことじゃないし、社員にそれを伝えていくのが私の仕事なのかなと思う。
奥 具体的には何をされているのですか?
棚橋 「インドネシア国リモート型省メンテナンス式水質管理システムの導入に向けた案件化調査」というもの。かんたんに言うと汚れた河川の水質を常時観測して、その数値をデータセンターに送るシステムの構築です。インドネシアでは貧困層はゴミ箱を持たないから、ゴミをポイ捨てする。だから上流はゴミだらけなんです。1号機を開発したものの、日本のきれいな川で実験しても仕方ないとの声もあり、無償で現地に送った。その後、実験しに現地に向かったのですが、機械にゴミなどが詰まってしまって。次に機械関係の専門家を連れて行き、2号機をつくってセンサーの自動制御装置を開発した。インドネシア技術評価応用庁(BPPT)と当社の間で共同研究の基本契約書を締結し、2016年からは3号機の開発製作に着手。2018年には実証実験を開始しました。ようやく価格、電気消費量ともに普及できるレベルのものが完成して、地元のニュースで取り上げられたのですが、残念ながら今は新型コロナウイルスの影響で中断しています。
奥 この事業はどういう経緯ではじまったんですか?
棚橋 補助金事業としてJAXAの「まいど1号」をやっておられる方が、2012年JICAでカンボジアでの中小企業支援事業の案件化調査「カンボジア国パワーコントロールシステム事業化可能性調査」に応募したら採択されまして。そこから2016年のインドネシアの水質管理にかかわる仕事まで結びつきました。自社で設計・開発をおこなうことにより、事業の幅を広げることを目的としています。それは自社をふくめた地域経済の活性化、ひいては国内経済の活性化につながる。井上さんの取り組みも同じだと思います。
井上 今日は棚橋さんに出会えてすごくよかった。ぼくが思っていたことをはっきり言ってくださるから(笑)。もちろん今やっていることがSDGsにつながることは間違いないですが、基本は「自分の家族が凄いことをやっている」と感じてもらうのが根本にあって。私も子どもの頃、父親から「あの外灯、うちでつくったんやで」というのを聞いて、「凄いな、将来やってみたいな」と思えたんです。働きがいとはそういうところにもあって。うちの社員も同じ体験をして欲しいんですよ。
仲間づくり、つながることの大切さ。
集まればチャレンジできることも増える。
奥 少し話は逸れるのですが、先輩方にアドバイスをもらえれば。うちは父親が製造の変革を突き進んで、そのバトンを受けて走っているんですが、今まで一匹狼のような感じでした。ただ最近は仲間づくりにもアンテナを張っていかないとダメだと思っていて。そこでみなさん、どうやって仲間づくりをされたのか、またそれがどう良かったのか教えてもらえたら。
棚橋 うちは人工衛星のプロジェクトやらいろんなことに参加していますが、なんでやっているかと言われたら「面白いから」に尽きますね。私が社長になって経営理念をつくったのですが、「電機の仕事を通じて自らが幸せになり社会に役立つ」。もうひとつ社是として「信頼、共に学び共に成長する」があります。だから面白い人がいたら、行って聞いてみるというスタンス。先ほども言いましたがSDGsも最初は嫌だと思ってて。ところがそういう集まりに参加してみると、みんないろんなこと考えてるとわかって面白くなったんですよ。だから一歩踏み出すことじゃないですかね。
奥 あー、やっぱりそうですよね。
棚橋 好奇心が強いので、いっちょかみしたい(笑)。最初は苦手だと思っていた人が、気がついたらいちばん仲良くなっているということもよくありますし。それと今の世の中、1社ではできないことも何社か集まればチャレンジできることもありますから。
井上 おっしゃるとおりだと思います。付け加えると、1社だけで成長しようと思ってもダメで。東大阪市もみんなが集まって頑張ったから「東大阪市=ものづくりのまち」というイメージが定着した。いろんな会があるので一度行ってみればいい。合わなければ抜けたらいいだけのことなんで。来るのを待つよりは自分から動いたほうがいい。
奥 まずは行ってみると。
棚橋 そう。あと商売になるとか、儲けようとか考えたらよくない(笑)。
奥 それはよく聞きますね。
棚橋 「まいど1号」のときもよく聞かれた、「儲かりますか」と。儲かりませんよ(笑)。なぜやるのかといえば新しい技術を勉強できるし、いろんなネットワークとつながれるから。「まいど1号」でJAXAと出会い、そこからJICAや、JETROへつながった。これはお金では買えないもの。今日も話を聞いていたら、ぜひおふたりの会社に伺いたいと思ったし。無理しなくてもいいです。考えの似た人は集まって自然とつながりも生まれますから。
企業理念にSDGs的精神を見いだせるか。
SDGsを誇りやプライドを持つきっかけに。
井上 私は経営理念や会社の方針こそ基礎だと思っているんです。それがないのにSDGsをやっても社員はついてこないです。ただ流行に乗っているだけにしか見えませんから。会社の理念があってそれがSDGsにつながる。それが自然な流れだと思います。経営理念や方針があれば、かならずSDGsの17のゴールや169のターゲットのどれかにあてはまりますよ。
奥 ぼくは一人っ子でいずれは後を継ぐと思っていたものの、忙しいときには夜も寝ずに働く両親の姿を見てキツイなという気持ちもあって。実業団にも内定しており、陸上競技者として生きる道もありましたが、箱根駅伝を走ってから、両親に感謝の気持ちが生まれまして。そのタイミングで父がこれまでとは違うやり方でタオルづくりをしようと考えた。それと「笑顔の地球をつくっていこうよ」ということから、「スマイリーアース」と名づけられた会社の精神に惹かれて帰ってきたと思うんです。
棚橋 社名=経営理念なんですね。私は理念とは理想と信念だと教えられました。自分の仕事の理想とするところ、それに向かって信念を持って進まなければならない。それはSDGsという言葉がなくても自分で突きつめないといけないし、そうすると、井上さんの言うようにSDGsのどれかのゴールに当てはまる。
井上 今では大学はもちろん、小学校の授業でもSDGsについて学んでいます。あくまで個人的な意見ですが、今後はSDGsについて「聞いたことがない」というのは、企業としてすまされないかなと感じています。
奥 誇りやプライドを持つきっかけとして、SDGsはうまく使えるんじゃないかなと思います。その際に経営理念から見直すことが必要な会社もあるかもしれません。これから次世代に継承したいのであれば、「見直さなきゃダメだよね」という気づきも大切です。
井上 おっしゃるとおりでね、もし経営理念がないのであれば、SDGsを利用して考えていけばいい。
棚橋 子どもたちに「お父さんの会社、SDGsの何番と何番やってる」と答えられることはこれからの時代必要で仕事を理解してもらうためには大切なのかなと思う。社員にも「うちの会社、何番やっていると思う」という問いかけによって、違う視点で仕事をしていた人の方向性も正すことができる。奥さんがおっしゃるように、SDGsに取り組むことが、社員のモチベーションアップにつながればいい。
井上 私の場合、これは人生のテーマなんですけど「既成概念を変えたい」というのがあって。SDGsってなんか難しいイメージあるじゃないですか。それを打ち砕きたいですね。「うちのような町工場でもできるよ」というものにね。たとえば私は、体重110kgありますがマラソンをやっている。これも「あいつが走れるなら自分も走れるだろう」と思って欲しくて、チームをつくったんですね。工場見学も同じように「社員10名の小さな町工場でもできるんなら、うちもできる」とはじめて欲しいんです。それと同じで、ハードルを下げてSDGsに取り組んで欲しいですね。
奥 今後取り組みたいのが、製造過程で生まれる処理水という副産物を、農業をはじめ水を通じてコラボレーションできる業種の方と一緒に価値創造を目指していきたいですね。山に生息する木を製造のエネルギーにしてきた経緯もあり、タオル製造だけに視点を固着せず、見渡して手を取り合える業種の人たちと上手に手を取り合いたい。それで地域がゆるやかにつながる、そんなエコシステムを目指したいと思っています。
棚橋 うちは本社の新社屋を11月に竣工して、ロボット・IoTセンターということでオープンにしていろんな人に来てもらえるようにしています。今はコロナで難しいですが、これが落ち着いたら海外からも日本の最先端の技術を気軽に見ていただいて学ぶところは学んで欲しいし、逆に課題を教えてもらったりできたら。私の原点は「共育」なので、教え合って一緒に学んでいきたいし、生きていくためにはつながりが大事なので、つながっていきながらともに良くなっていきたいと思います。