MOOV,TALK
「自社のコア技術」+「外部の技術」
技術を価値へと変換し、さらなる高みへ
近年、ビジネスの潮流のなかでものづくり企業に求められる役割は変化している。複数企業が連携することで1社では対応できなかった課題を解決し、事業につなげる事例も出てきている。各自の強みを上手く組み合わせ、対応できる製品の幅や生産量などが改善し、これまでは不可能だった受注を獲得。異分野の技術の導入やノウハウの融合によって、新たなビジネスフィールドへ到達する。それが今の時代に求められる「新しい企業連携」の姿ではないだろうか。自社の技術を極めることだけにこだわるのではなく、オープンな形でのコラボレーション、ファブレスやM&Aなど、他社の技術や生産能力を最大限に活用することで、何倍もの相乗効果が生まれることもある。すでに企業連携に取り組む経営者に、そのきっかけから乗り越えるべき課題、従業員のモチベーションなど社内の変化、目指すべき未来についても語っていただいた。
企業連携に取り組む背景とは。
―現在、さまざまな形の企業間連携が進んでいます。本日はコラボレーションやM&Aによって、新たなサービスや価値をつくりあげられている皆さんにお集まりいただきました。まずは自社のご紹介からお願いします。
芦田 私は2005年まで家電関係のオプションパーツの開発に携わっておりました。58歳で早期退社して、翌年にTGMYを立ち上げ、法人化しました。会社に在籍中からプライベートで広告代理店の手伝いをしており、起業後、そこからの要請で「乾電池で100km/hを超える」というプロジェクトを企画したりしました。また会社員時代に市販車を使って電気自動車(以下EV)を製作し、それが大阪におけるコンバートEV第1号となりまして、それをシリーズハイブリットにする牽引発電機車や、趣味で燃料電池車をつくったりしていました。独立してからもその頃培われた横のつながりでEVを開発したり、大手メーカーからEV化を依頼されることが多いですね。最近ではEVをベースにした自動運転車の開発も手がけています。
繁原 当社は祖父が明治の終わりに鉄工所を立ち上げ、1966年頃、父が単一製品の加工を中心とする繁原歯車工作所を創業。私も高校卒業後入社し、他社で修行して戻り、歯車の加工を中心にやってまいりました。40年ほど前に初めて大手自動車メーカーから受注をいただいてから上昇志向が芽生え、「いつかティアワン*の企業と仕事をすること」を目標に展開してきました。そしてヤマハ発動機からレーシングカーの部品製作依頼をきっかけに、二輪の世界に進出。芦田さんから減速機の依頼を受け、EVの世界に導いていただいた。現在はトヨタ自動車のレクサスLFAのエンジンギアの試作から量産を手がけています。
野村 祖父が開業し、もともとは一つの電話回線を隣近所で共有するのが普通だった時代に、会話が漏れないようにする電話の秘話装置をつくっていた会社です。そこから現在のNTTにあたる逓信局とのおつきあいが始まり、電話線を電柱に敷設するときに使うケーブルハンガーなどを製作するようになりました。ただ製品の性質上、これは一度納品すると取替え需要のないものなので、現在のように通信網が発達すると当社の製品の出番がなくなる。そこで考えた戦略のひとつが、株式会社O-KEI樹脂をM&Aすることで、カーボン、すなわちCFRP(炭素繊維強化プラスチック)の分野への展開を図っているところです。
芦田 ぼくもカーボンには興味があり自分で成形していますね。
繁原 うちのEV86*もカーボンにしたいなと思っていて。大きなものも扱われるのですか?
野村 今年の末には2×5mのオートクレーブを導入予定で、機械が入り次第、始めるつもりです。もともとカーボンは飛行機業界への参入を目標にしていたのですが、結果として現状は車関係の仕事が多いですね。個人的な話になりますが、私自身もサーキットで走ることが趣味なので、お二人の仕事はとても興味があります。
繁原 四輪の部品を手がける気持ちはおありですか?
野村 ありますね。ただ図面をもらってつくるだけでは面白くないので、お二人がされているような開発に加われたら。
繁原 いきなりコラボできそうな流れになってきましたね。
類が友を呼ぶ、コラボのカタチ。
―そもそも芦田さんと繁原さんの出会いのきっかけは、どういうものだったのでしょうか?
繁原 ヤマハ発動機の内部で認知され、二輪の仕事が増えた頃、リーマンショックがきて仕事が減少。「レーシングカーパーツの一貫生産」のビジネスモデルで大阪府の経営革新計画の承認を得て、設備投資をした頃でした。そのタイミングでTGMYさんから大手自動車メーカーのEV化に向けて、減速機の話がきたわけです。
芦田 2009年、うちに「大手自動車メーカーの生産車を1ヵ月でEVにして欲しい」との依頼がありまして。まず製作に必要なモータ等の機材を持っていなかったので、受注後アメリカから機材を調達するのに2週間かかり、その間も合せて3週間でギアボックスを開発できるところを探したとき、ヤマハの友人に繁原さんを紹介してもらった。それ以降、こちらの無理難題にほとんど応えてもらっています(笑)。
繁原 二輪でレース関係に携わってきて短納期には慣れていたので、3週間もあれば十分。月曜の朝イチに芦田さんからのメールを拝見して、お昼には会いに行き、結論は自分が出しました。営業はプラスを出さないといけないけれど、経営者はマイナスの営業をしてもいいんです。社長は将来の夢や可能性に向かって、多少のリスクがあっても、そこに賭けることができる。それが私のスタンス。タイミングも良かったですね。たまたまリーマンショックの後で暇だったというのもあります。
芦田 あの時見捨てられていたら、うちの会社は今ないかも(笑)。
繁原 翌年、自社のEVで鈴鹿のEne-1GPでレース初参戦し、優勝しました。その後も続くレース活動によって、トヨタ自動車をはじめとするティアワンの大手企業から注目され、現在の仕事につながっています。EVをレースで走らせることによって、少しずつ名前が知れ渡ってきた。うちこそ、今あるのは芦田さんのおかげですよ。
―お二人は最初から、そんな風に和気あいあいとした感じだったのですか。関係を築かれるのに時間はかかりましたか。
芦田 繁原さんとは車やレース関係で、共通の知り合いが多かった。だから初めから打ち解けてオープンな関係を築けました。
繁原 類は友を呼ぶといいますか(笑)。今、芦田さんがおっしゃられたように「共通の知り合いが多い」ということは、自分が目指すベクトルから外れた人ではないだろうと。
M&Aの最大のメリットは「時間を買えること」。
―今度はM&Aという形を進められている野村さんにお聞きします。新しい部門を自社でイチからつくり出すのではなく、他社をM&Aするという決断を下された理由は?
野村 O-KEI樹脂に関していうと、当社におけるM&Aでは3社目となり、前例がありましたので社内での反対はなかったです。M&Aに関して言うと、最初は北越電線という大手はやらないタイプの加工を扱う電線屋で、使う機械や材料が同じだったのでノウハウを展開できるのと、商いのフィールドが隣同士なので相乗効果も見込んで決断しました。次は自社製品を使っていただく工事会社。これは直接ユーザーの声が入ることを期待して。
―M&Aする会社はご自身で探されたのですか?
野村 以前、株主だった大阪中小企業投資育成株式会社という会社があり、最初の案件はそこから話が持ち込まれました。それが成立した後に、2件目、3件目の話が上がった。O-KEI樹脂は飛行機関係の仕事の受注が欲しくて調査している時に、以前勧められたこの会社が経済産業省のリストにも入っていたので決めました。私のM&Aについての考えは、「時間を買う」ということです。ゼロから部門を立ち上げると、時間も人材も必要ですから。それと立場上、初対面の人と会う機会に恵まれているので、それを繰り返すことによって、自分の肥やしになればいいという持論があり、M&Aもそういう機会のひとつだと捉えています。
―新しい会社と一緒になられた時、社内での変化はありましたか。
野村 ビジネスではないのですが、社員が子会社に出向する際、彼らは責任感を持って出ていきます。それを土台にして、うまくハマる人は一回り大きく成長している気がします。余剰人材に対して新たな活動の拠点と仕事を与え、活躍、成長してもらえるというメリットもあります。
繁原 それにしても、不況の波に左右されないのはいいですね。
野村 でも今、逆にインフラの整備や稼働状況によって、みなさんと違う状況で波が来ている。だから今の会社を維持して、社員の生活を守ることを考えて、新たな分野への展開という選択をしました。違う技術を、インフラの世界で築いた資産のあるうちに買うという発想です。10年後に資産は目減りしているかもしれませんが、自分たちが食べていける技術力を身につけられればいいなと考えています。
芦田 最近、カーボン系の製造は、台湾や中国にどんどん流れていっていますね。
野村 その状況で、どのようにして生き残っていくかというと、材質などは変わらないので、品質と短納期しかないかなと。私は以前、ヨットの造船所に勤めていた時、ヨットレースの世界最高峰「アメリカスカップ」に参戦する日本チーム『ニッポンチャレンジ』に関わられている方とお話しする機会があったのですが、当時はケプラーとかカーボンについての知識もなかった。その時生まれた「いつかカーボンを手がけてみたい」という想いが、現在の展開へのトリガーとなっている。
企業間連携によって増すチーム力
―コラボにしろM&Aにしろ連携するにあたっては、相手を見定めることも重要になってくると思いますが、その場合に、ポイントとなるのはどういう点でしょうか。
繁原 「匂い」ですね(笑)。自分の実力だけで勝負されている方と仕事をする時は、肌が合うかどうかがとても大切です。こればかりは経験で判断するしかないですね。
野村 M&Aに関しては言葉では表しにくく、感覚的な言い方になりますが、「ものづくりの現場のたたずまい」ですね。あとは経営者の人となりとかですよね。
芦田 自分と同じ次元にいるかどうかも重要です。1時間も話せば、自分と波長が合う人か、そうでないかは分かりますから。うちは早くつくるのだけは得意なので、安請け合いしては、一流の方々にお願いするというスタンス。そこできっちりとした仕事をすることが、のちに続く信頼関係を生むと思います。
野村 お二人の関係は羨ましいですね。話を聞いていると、若い時から技術を磨かれて、製品への強い思い入れが伝わってきます。そういう方同士が手を携えるというのは素晴らしいです。
芦田 ほとんどの技術系の社長は時間があったらやりたい夢というものを持っていますよね。ぼくのスタート時のスタンスは、自分に時間ができたので「その夢の実現を手伝います」というもの。少々のスキルはありますので開発はできますよと。そうやって安請け合いしてはできないことは一流の友人に頼むのが、ぼくのやり方(笑)。
繁原 私たちはできるだけ良いものをお客様に届けたい。問題が出たら、すぐに改善させていただく。一度「あそこはダメ」という評判が立つと、すぐに知れ渡ってしまいます。
―お話をうかがっていると、芦田さんと繁原さんの連携は技術以外にも、企業同士が連携することで、新しい活路を見出したり、営業で役立っているような気がします。
野村 そういうのが理想でしょうね。売ろうと思って行っても、なかなか売れるものではないですし。お互いの利害が合致して進んでいらっしゃる。これって何か秘訣ってあるのですか。
芦田 やっぱりお互いが持っていないものを、惜しみなく出し合っている状態なのがいいんでしょうね。
繁原 大阪では利益が出ていても、基本的に値切りますよね。そうやって協力企業を泣かす(苦笑)。しかし芦田さんの場合は利益が出たら、まわりにきちんと還元される。そういう人だからずっと一緒にやってこれたんです。
―みなさん、これまで培ってこられた独自の技術をお持ちだと思うのですが、その技術は連携の際に隠すべきなのか、それともオープンにするべきか、どう思われますか。
繁原 私は一切、隠さないですね。
芦田 うちも隠さないですね。できないことは他社に頼る方針です。全体の仕事の8割くらいは外注しますし。だからマネジメントと最終的に組み立てて設計上の不備の修正がうちの仕事。そもそも当社はファブレスなので、手を使っての作業しかできないんです。だからさまざまな業界を問わずにお願いします。自分の守備範囲ではない場合は、正直にクライアントに伝えて、新たに紹介してもらったりします。
繁原 私たちが扱っているのは自動車の基幹部分です。これは1/1000の誤差やほんの少し材質が違っても壊れてしまうもの。1億円もするエンジンが、当社の部品を使うことで壊れたとなると、修正不可能なほど信用を失う。そういう考え方でいくと、技術的に「できること」と「できないこと」をしっかりと顧客に開示しないと、会社の存亡だけでなく、人の命に関わります。
芦田 特に車は正直ですから。私たちが携わる開発・試作の世界では、ごまかしは絶対に効かないんです。
企業連携によって切り拓く未来像とは。
―最後に5年後、10年後の未来への展望をお聞かせください。
芦田 当社の場合はずっと、「こんなことをできないか」という相談を受けてやってきましたが、本音を言うと自社の売りとなるものをつくって、息子に繋いでいきたいという想いはあります。とはいえ自分のところだけだと難しいのも現状で。だから世の中の流れに対して、少し先の未来に求められるものの情報を集め、柔軟に対応するというスタンスは保ち続けたい。
繁原 従業員に賞与を渡す際の面談で、「うちの会社は10年後どうなっていますか」と質問されたことがあります。それに対して私は「たこ焼き屋かな」と答えました(笑)。これは極端なたとえですが、会社を存続させ、従業員を守るためには、それくらいの柔軟性と覚悟が必要なんです。それと同時に夢もあります。世の中で本当に求められているのに手に入らないもの、たとえば「この部品があれば、愛車をまた走らせることができるのに」といったニーズは世界中にあると思うんです。それに対して情報発信をして提供していきたい。その先には「レーシングカーのエンジンを、すべて社内でつくりたい」という壮大な夢もあります。そんな風に常に新しいことにチャレンジしながら、従業員とその家族を守っていきたいですね。
野村 まずは5年後、10年後も、今取り組んでいることを途中でやめないようにしたい。それと会社が「何をやるのか」も大事ですが、それによって雇用を増やし、企業としての内容を充実させることも大切です。もともとの事業が停滞しているなかで、カーボンの世界は広がりつつあります。この世界において今はまだ加工だけしか手がけていませんが、設計から成形、加工、納品までできる体制を整え、ゆくゆくは「自社ブランド」として世に出せるものをつくっていきたいです。