ものづくり中小企業の変革と挑戦を支援しているMOBIOでは、MOBIO 常設展示場出展企業様・インキュベートルームの入居企業様の「 変革と挑戦 」について、取り組みのきっかけ(背景)、 具体的な内容などをインタビューしご紹介していきます。ここにはヒントが沢山詰まっているはずです。 じっくりお読みください!
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直接取引の売上比率変革が、品質や生産力向上の原動力に!
山陽金属鋼業株式会社 代表取締役 河田 一郎 氏
会社名 | 山陽金属鋼業株式会社 |
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住所 | 〒581-0092 大阪府八尾市老原4丁目155 |
電話番号 | 072-949-5701 |
代表者名 | 代表取締役 河田 一郎 氏 |
設立 | 1951年(昭和26年) |
事業内容 | 引抜磨棒鋼 ・自動車関連部品用 ・工作機械などのLMガイド用 |
鉄鋼二次製品『引抜磨棒鋼』を製造
鉄鋼二次製品である『引抜磨棒鋼』を製造する山陽金属鋼業株式会社。『引抜磨棒鋼』とは、鉄鋼メーカーが作った鉄鋼一次製品である棒鋼を用途に合わせた金型を通して引き抜き、製造業企業へ素材として提供することを事業としている。この加工により、鉄がどう変化するのか、代表取締役の河田一郎氏におうかがいした。
「餅を伸ばすようなイメージで棒鋼を延ばし、寸法精度の高い素材に加工します。引抜き加工によって寸法精度が100分の2~3ミリまで向上し、なおかつ曲がりの減少、小ロット出荷の対応など、鉄鋼を製造業企業が扱いやすい状態に加工して提供するのが我々の仕事です」
聞き慣れない『引抜磨棒鋼』は、もともとボルトやナットの素材としても使われていたという。
「父である先代が戦前からボルトやナットを扱う商売をしていました。そして終戦後、戦前の仕事の縁からそれらの素材となる『引抜磨棒鋼』の製造を始めたんです。現在は、高精度が求められる自動車部品や工作機械用LMガイドのレールやブロック用の素材としてご利用いただいています」
「顔が見える商売」をしたいと直接取引を推進
山陽金属鋼業では、企業への直接販売と卸への販売の両方を行っていた。河田氏は、父親から会社を引き継いだ時に大きな決断を行った。
「直接販売はお客様ごとの細かい要望に応える対応力、卸販売では緊急発注にも対応できる在庫力、とニーズが全然違うので、当社の規模で両方を成長させることは難しかったんですね。会社の資源を集中させねばならないと考え、直接取引に注力しようと決めました」
卸への取引よりも、企業との直接取引を積極的に推進した河田氏。直接取引を強化することで、売上を増やすというより、売上の中身を変えたかったという。
「私たちが心を込めて作った製品を買っていただきたかった。なぜなら、そうして買っていただいた結果、怒られたり喜んでいただく経験が、私たちの成長や将来のビジネスに必須だと考えたんです」
当社の製品で喜んだり、怒る“人”の顔が見えることが大切だと語る河田氏。卸の減少分を直接取引で補い、売上は横ばいが続いた。だが、直接取引企業の海外進出に伴う九州工場建設によって、取扱高が一気に増加した。
「お客様のご要望に応えるべく、真摯に取り組んできました。その努力のおかげでお客様に引っ張り上げていただいたと考えています」
プラス思考で物事の見え方が変わり、期待感が膨らむ!
『 “人”の顔が見えることが大切』だと考えて直接取引を推進した河田氏。ものづくり企業として大切にしていることについてお話をうかがった。
「やはり“人”とのつながりです。変化のスピードが速い昨今ほど、企業は人であると実感しています。会ってヒザをつき合わせて話すことが大切です」
また、日本の製造業の未来を想像すればするほど、海外を視野に入れる必要があると考えている。
「誰に聞いても、日本における製造業の未来がバラ色だと言う人はいないでしょう。未来を描くには、日本だけで物事を考えていては選択肢が少なすぎる。世界を視野に入れて選択肢を増やす必要があります」
さらに国内市場を見て悲観するのではなく、『新たに何ができるか』というプラス思考に切り替えるべきだ、と河田氏。
「プラス思考になれば、世の中の見え方は変わり、期待感が膨らむ。そうすれば、物事に挑戦する力が湧いてきますから、そこで蓄積してきた力を挑戦するチカラに変えるべきです。蓄積するだけでは何も変わりません」
最後に将来の展開についておうかがいした。
「現在中国に進出していますが、他のアジア諸国に対しても現地調達、現地生産の市場要求に応えられるよう強化していきます」
取材日:2013年1月29日(火) ライター:中直照((株)ショートカプチーノ)
MOBIO担当者より
「働く場を提供することは企業の使命です。」とおっしゃる河田社長は、社長に就任して20数年。力があるときに次の手を打たなければと新たな事業に挑戦中でした。(担当:奥田)